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天草
天草のせいで星玉むだになりました。
天草四郎の話を教えてください
これまでの回答一覧 (12)
食らい判定が消滅する前後への高速移動「逢魔刻」、宝珠を用いた飛び道具をはじめ、特異な性質の技が多く、それらを駆使した独特の戦闘スタイルを取る。『斬紅郎無双剣』では、しゃがみ足払いの威力が非常に高く(通常の2倍)、連続ヒットする。密着状態で当てれば4ヒットし、体力の約半分を奪ううえに相手は気絶するという驚異的な性能を持つ。
『剣客伝』では、近距離モードと遠距離モードという2つのモードを切り替えて戦うスタイルとなった。これらのモードは通常技が変更されて、使用できる必殺技が異なる。見た目では宝珠の色が異なる。
【必殺技】
死霊刃
『斬紅郎無双剣』と『天草降臨』での修羅の技。炎を纏った霊(霊をかたどった炎)を飛ばす。弾を撃ったあとの隙は弱が最も小さく、弾の飛行速度は強が最も早い。初代での技名は「怨獄死霊刃」。
ダークサンダー
黒い電気弾を飛ばす技。弾は一定距離飛ぶと攻撃判定を持ったまま、天草の方へ戻ってくる。
汝、暗転入滅せよ
球状のものに包まれた天草が空中へと飛び上がって一旦停止したのち、相手に向かって突っ込んでいく。停止中に攻撃を中断することも可能。初代では、怒り状態で命中させた場合、一撃で相手の全体力を奪う(即死)ほどの破壊力を持つ。『サムライスピリッツ零SPECIAL』(以下『零SP』と表記)までは削り以外に全く使い道の無い技だったが、『剣客伝』で落下場所を選べる(=ガード方向を揺さぶることができる)ようになった。さらにガードされても痛い反撃を受けにくい。
逢魔刻(前)/(後)
残像を残しつつ、前方もしくは後方に高速で移動する技。移動中は、投げ技以外の攻撃を喰らわない。画面端にぶつかると、その時点で技の動作はすぐに中断される。初代はそれぞれ「踏み込みワープ 」「退き込みワープ」という技名だった。
天照封凰拏
修羅の技で、宝珠を飛ばし、ヒットした相手を上空へと引き上げ、その後で地面へ落とす。ボタンによって最初の宝珠の出現位置が異なる。宝珠には飛び道具を相******る能力が無い。
冥府魔障弾
羅刹の技で、雷を帯びた宝珠を前方へ放つ飛び道具。弾の飛距離に制限があり、一定の距離まで弾が進んで宝珠が天草のもとへ戻ってくるか、弾が相手に当たるまで天草本体は硬直し続ける。
降魔招来破
羅刹の技で、足元に魔法陣を出して前方へ飛ばし、喰らった相手を魔法陣に相手を吸い込んで上から叩き落す。「冥府魔障弾」と同様に、宝珠が戻ってくるまで天草本体は隙となるが、魔法陣は下段判定であり、ナコルルの「アンヌムツベ」や、ガルフォードの「L.S.T」なども潰すことが可能な点が長所。
瘴氣断
『斬紅郎無双剣』では修羅と羅刹の共通技だが、『天草降臨』では修羅の技。天草の周囲を宝珠が飛びかう。『斬紅郎無双剣』でのみ、当ててもダメージは与えられない代わりに、喰らった相手を相手を強制的に気絶状態にさせる能力を持つ。
戒烈掌
『斬紅郎無双剣』では修羅と羅刹の共通技だが、『天草降臨』では羅刹の技。手を突き出し、当たると相手を捕まえ、無数の平手打ちをくらわす。張り手のリーチが極端に短く、座高の低い相手にしゃがまれると空振りする。
魔力変質
『剣客伝』でのみ使用する特殊動作。モードを切り替える。
【武器飛ばし技、絶命奥義、秘奥義】
凶冥十殺陣
『斬紅郎無双剣』にて追加された武器飛ばし技。相手を魔法陣に閉じ込め、宝珠による一撃を見舞う。修羅では攻撃判定の発生が遅い代わりに、最初に構えている間は全身が完全無敵状態になる。逆に羅刹では、発生が早い代わりに無敵時間が一切存在しない。『斬紅郎無双剣』にて、天草の怒ゲージが点滅している状態で首斬り破沙羅に対してこの技を決めると、一撃で倒すことが可能。
汝、懺悔せよ。我、滅罪せん。
『零SP』の絶命奥義。相手を空中に浮かせたあとに宝珠で相手の体を貫く。この時、大きな穴が3箇所開き、最後の一撃で相手を跡形もなく消滅させる。
煉獄死霊刃
『剣客伝』の秘奥義。「死霊刃」の強化版。
救恤魔導弾
『剣客伝』の秘奥義。「冥府魔障弾」の強化版。
取り敢えず九州に向かえ
着いたらまた質問しろ起きてたら回答してやる
天草四郎は安藤より出席番号早い
肥後国南半国のキリシタン大名で関ヶ原の戦いに敗れて斬首された小西行長の遺臣・益田好次の子として母の実家のある天草諸島の大矢野島(現在の熊本県上天草市)で生まれたとされる[2]。しかし、宇土郡江部村(現在の宇土市)[3]または長崎出身[4]という説もあり、出生地ははっきりしない(生年も諸説ある)。益田家は小西氏滅亡後、浪人百姓として一家で宇土に居住したという。
生涯については不明の点が多いが、生まれながらにしてカリスマ性があったという。また、経済的に恵まれていたため、幼少期から学問に親しみ、優れた教養があったようである。小西氏の旧臣やキリシタンの間で救世主として擁立、神格化された人物であると考えられており、様々な奇跡(盲目の少女に触れると視力を取り戻した、海面を歩いたなど)を起こしたという逸話もある。もっとも、このような類の逸話は、イエス・キリストが起こした奇跡として新約聖書の四つの福音書にも多数書かれており、上記の逸話は四郎の名声を高める目的でこれら福音書の言い伝えを参考に創作されたと見ることもできる。
寛永14年(1637年)に勃発した島原の乱ではカリスマ的な人気を背景に一揆軍の総大将となる[5]。戦場では十字架を掲げて軍を率いたとも伝わるが、四郎本人はまだ10代半ばの少年であり、実際に乱を計画・指揮していたのは浪人や庄屋たちで、四郎は一揆軍の戦意高揚のために浪人や庄屋たちに利用されていたに過ぎないと見られている。
一揆軍は当時すでに廃城となっていた原城に立てこもり、3ヵ月に及ぶ籠城戦を続けたものの、最終的には食料も弾薬も尽きて原城は陥落し、一揆軍は幕府軍の総攻撃によって全滅させられた[6]。この時、四郎も原城の本丸にて幕府方の肥後細川藩士・陣佐左衛門に討ち取られたと伝えられる。四郎の首は、原城三の丸の大手門前、そして長崎出島の正面入り口前に晒された。なお、このとき幕府側には天草四郎の姿や容貌の情報が全く伝わっておらず、幕府軍の陣には四郎と同じ年頃と見られる少年たちの首が次々に持ち込まれたものの、幕府軍はどれが本物の四郎の首であるか分からなかったため、以前から幕府軍に捕えられていた四郎の母(洗礼名:マルタ)にこれらの首を見せたところ、母は陣佐左衛門が持って来た首を見て顔色を変え、その場で泣き崩れた。これにより、幕府軍は佐左衛門が持って来た首を四郎の首と断定したという(細川藩資料:「肥前国有馬戦記」)。
天草四郎が豊臣秀頼の落胤であるとする説は、四郎の馬印が豊臣秀吉のものと同じ瓢箪であることなどから、大坂夏の陣において死亡したはずの秀頼が大坂城を脱出して薩摩国へ逃れていたとする論拠で、豊臣家権威の糾合を図ったとも考えられている。「豊臣秀綱」という名があったと鹿児島所有の書物に記されている。
現在、原城跡をはじめ天草、島原など複数箇所に銅像が建てられている。また、四郎の母が建立したと思われる墓石が後年民家の石垣から発見され、原城跡に移築されている。
天草四郎を平仮名で書くと
あまくさしろう
この単語から同音語を抜き、先の言葉だけにすると
あくしろ
あとは分かりますね?
ルーラー
宝具で敵のバフ解除が出来る
なんか無法地帯になってて草
自分天草好きだし、欲しいんですけどね…
最低でも無駄にはなったと思わないけど
でも、人それぞれだし、意見の違いは仕方ないかな?
所持キャラとかでも変わってくるだろうし
ホモ。
天草存命時、当時の江戸幕府は隠れキリシタン弾圧の為、踏み絵を踏ませることにより信徒を見分けていた。
踏み絵の詳細についてはこちらを参照してください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E3%81%B5%E3%81%BF%E3%81%88
天草だけに草
天草 四郎(あまくさ しろう)、元和7年(1621年)/元和9年(1623年)? - 寛永15年2月28日(1638年4月12日)は、江戸時代初期のキリシタン。島原の乱における一揆軍の最高指導者とされている。
サムスピ懐かしい。
回答ありがとう
うおおおお!!熱い!!懐かしいなぁサムスピ!ざんくろうだったかな、13連斬からの突飛ばしで21連斬。持ちキャラは右京でしたわ。