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モンストの回答詳細
源頼光(みなもとのよりみつ)は、平安時代の中ごろに活躍した貴族であり武将です。姓の「源」が示す通り、後に鎌倉幕府を開く源頼朝や、源義経から見ると、遠縁ではありますが先祖に当たる人物でもあります。
頼朝や義経と比べると、合戦での活躍などは残されていないマイナーな人物ではありますが、大江山の鬼・酒呑童子(しゅてんどうじ)退治や、大妖怪・土蜘蛛退治などの怪異退治の逸話が数多く残されており、オカルト方面に興味を持っている方からは有名な人物でした。
怪異退治のエピソードの他には、「頼光四天王」という頼光配下の武将たちの通称も有名であり、その四天王の中には、あの昔話である『きんたろう』のモデルとなった坂田金時(さかたきんとき)や、「鬼の腕を切り落とした」とされる渡辺綱(わたなべつな)などの豪傑が名を連ねています。
人VS人の合戦ではなく、鬼や妖怪と戦った武将というエピソードの特殊性や「四天王」という字面のカッコよさから、創作のキャラクターとしても人気は高く、最近では『Fate/Grand Order』や『討鬼伝』などのゲーム作品から、頼光の名前を知る人も増えてきていると言えるでしょう。
モンストもしかりです。
源頼光は、清和源氏の頭領である源満仲(みなもとのみつなか)と、佐賀源氏であった源俊(みなもとのすぐる)の娘の間に、嫡男として生まれました。
生年は948年とわかっていますが、生地については諸説が存在しています。一般的には、清和源氏の本拠地である摂津国・多田で生まれた、もしくは父である満仲の屋敷があった、平安京の左京一条で生まれたとする説が一般的です。
幼年期の人物像についても記録は全く残っておらず、幼い頃の頼光がどんな人物だったのかについては、完全に謎に包まれていると言えます。そのため、頼光の名前が歴史の中に登場し始めるのは、20代になって朝廷と藤原氏に出仕しだしたころからとなっています。
頼光の生家である清和源氏は、代々東北方面の守りを司る鎮守府将軍に任じられる家系だったため、頼光も家系としては武士(当時の言い方では”兵”)の一族だったと言えます。しかし頼光が活躍する平安時代中期には、大規模な戦など、武力が必要な事件はほとんど起こっておらず、頼光も藤原氏の臣下として出仕した後しばらくは、主に財力を蓄える形で勢力を拡大していったようです。
源頼光は多くの郎党を従えていたとされ、中でも後世に名前を残した4人の強者は「頼光四天王」という通称で親しまれています。
「頼光四天王」とは、一条戻橋の説話で有名な渡辺綱を筆頭に、『金太郎』のモデルである坂田金時、四万温泉の由来となったエピソードが有名な碓井貞光(うすいさだみつ)、『滝夜叉姫』など多くの妖怪退治の説話に名を残す卜部季武(うらべすえたけ)の4人のことを指した通称です。
源頼光のエピソードの中でも、四天王の名前と並ぶほど有名なのは、酒呑童子という鬼の名前です。
酒呑童子は大江山に住む鬼のボスのような存在であり、死して悪霊となった崇徳上皇(すとくじょうこう)、中国の妲己(だっき)とも同一視される白面金毛九尾の狐(玉藻の前)と並び、日本三大悪妖怪とも謳われる凶悪な鬼でした。
朝廷から酒呑童子の退治を依頼された頼光と配下の四天王は、山伏に変装して大江山に潜入。酒呑童子に謁見した頼光たちは、手土産として「神便鬼毒酒(しんぺんきどくしゅ)」という鬼にとって毒となる酒を渡し、鬼たちを泥酔させます。そうして酔いつぶれ、寝てしまった酒呑童子の首を、頼光は刀で刎ねたのです。
ところで酒呑童子はモンストでは降臨キャラとして登場します。爆絶でも超絶でもなく、激究極でもなくただの究極のキャラです。
頼光はこのキャラと関係が深い..........
はい、もうお分かりですね。
ルネッサーンス!